昨年10月、「借金するなら姉妹から」で書いたことは、何ということもないように見えるかもしれないが、重要なことだと思った。

名主が急な村用などのために借金をするとき、とりあえず親類をあたることが多いが、親類のうち姉妹の嫁ぎ先からの借金が多いのは、結婚の際の持参金の存在を傍証するものである、というような内容である。

最近、網野善彦・宮田登対談集『歴史の中で語られてこなかったこと』を再読し始めたら、
16世紀に来日したフロイスの記録によると、「日本では夫と妻が別々に財産を持っている。時には、妻は夫に高利で金を貸す」と書かれ、女性たちには養蚕や機織りの現金収入などがあり、女性独自の財産があったことは間違いないが、研究はこれからだとは、両氏の対談内容。

昨年10月のブログでは、持参金のことしか書かなかったが、養蚕や機織りの収入のことを付け加えなければならない。こうした現金収入は、今までは主婦のへそくりとして歴史家はほとんど無視してきたが、男性主体の表経済に匹敵するくらいの裏経済が存在したのではないかというのが両氏の認識である。手元の史料によっても、個人ではなく、一村に対して融資をするほどの高額のへそくりないし動産が一人の主婦にあったということがわかるわけである。

とはいえ、村の古文書から名主の親類関係を調べるのは、部外者が数日調べたくらいでは容易ではないかもしれない。今回の親類は、伊勢参宮の同行記録から親類と判明したものだった。

養蚕についてだが、宮本常一編纂の平凡社『日本残酷物語』を通読中に、江戸時代には日本の養蚕はかなりの生産高があったというくだりを読んだことがある。それによると、安政×年には○○だけの輸出量だったのだから、少なくとも安政×年以前には養蚕は相当に普及していたのだという程度のことしか書かれず、安政×年の資料しかないのだろうかと不審に思ったものである。しかし諸国生産高一覧のような資料は、本当にないのだろう。江戸時代の養蚕の生産高がわからないのは、年貢などの男性経済とは別次元のものに属するからということになる。

この対談集で、蚕が脱皮して美しい繭で自らを包みさらに脱皮してゆく姿は、少女から女性へ変身する姿の反映だとコメントしたのは宮田氏のほうだったと思うが、昔話で、機を織っている姿を見てはいけないという伝承は、経済的にも男は口出ししてはいけないことにつながるのかもしれない。
それらの禁忌は、水辺に棚を設けて、その上で神に着せる布を織りながら神の来訪を待つ棚機女(たなばたつめ)の、神話時代から続いていた聖なる話の一部なのかもしれない。

近世的家族の成立史の問題と、この女性論の問題。この二つだけは、どうにか見えてきたような気がする。

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