『史料が語る江戸期の社会実相一〇〇話』(つくばね舎)
日本風俗史学会、編(芳賀登らの編)。
示唆に富む内容の多い本と思われるが、100話のうち、つっこみ所の多い項目も多そうだ。

 「年貢率の推定」という項目。
この一文の主題は、石盛(下田一反なら1.1石程度)とは、実際の収穫量ではないこと。実際の収穫はもっと多く、収穫量から四公六民で計算すれば、実際の年貢率がわかる。(その計算結果は収穫量の10%台)
という点にあり、このことについては、もっともだと思う。

 しかし詳細な内容には問題がある。
 実際の収穫量については、「佐藤常雄『貧農史観を見直す』によれば、江戸中期から明治前期までの平均は、一反あたり四石三斗八升になるという」、と書かれる。
 この数字、約4石4斗は、俵にして11俵であるので、驚いた。昭和の末でも7〜8俵が普通であり、11俵も獲れるはずがない。
 そこで引用元の本を開いてみると、玄米ではなく、脱穀前の籾の量のことだった。石盛は玄米が単位なので、籾の量と比較してもしかたがない。どうも先生方の中には、農業の実際がわかってない方がいらっしゃるようだ。
 稲籾は、脱穀して玄米にすると、重量では70%ほどになってしまうそうだが、石とは体積の単位であり、体積ではもっと減る。くず米などもそこから除けば、普通は約50%、半分ほどになってしまうそうだ。Wikipediaにもそう書いてある。
 したがって、稲籾四石三斗八升は、玄米では約2石2斗ほどである。

 この一文では「上田の場合は四石三斗八升」と書かれるが、これは誤りであろう。引用元には田の種類の記載はない。(四石三斗八升という数字もなく、引用者が独自に平均値を計算したように見受けられる)
 上田ではなく、平均的な田と比較するのでなければならない。平均的な田とは、何か。文字の上では「中田」がそれらしく見える。しかしいくつかの村の年貢関係の文書を見た限りでは、最も耕作面積の多い田は、下田である。
 下田の石盛は1.1石とした例もあるそうだが、当村史料では1.05石。普通はちょうど1石と見る人が多いようだ。年貢はそのうちの40%なので4斗。4斗とは1俵のことである。。

 平均的な、田1反あたりの年貢はおよそ玄米1俵である
 実際の収穫量は、前述の通り、およそ約2石2斗、つまり5俵半
 年貢率は、1 ÷ 5.5 = 約18%。
 ただし領主の義務である水利費用の村負担分などが控除される。冬の裏作などの収入は含めずの計算である。したがって18より低い。
 佐藤常雄氏や石川英輔氏の本で、実際に年貢率を計算した人によると収入の7〜8%という表現があったが、年貢の低い畑を含めた総収入に対する率では、そのくらいの数字にはなりうる。「計算した人」とは、不明。
 ちなみに、時代ごとに収穫量を比較する場合は、江戸時代の1反が実際はもっと広かったことも頭に入れなければならない。

 ところで、この一文で、畑の石盛について、上畑13、中畑11などと書かれるが、よくわからない。その数字では、中畑と下田が同等になるのだが、畑の年貢がそれほど高いとは思われない。当村史料(元禄13年)では、上畑が永97文、中畑が永87文である。天保時代の上州国定村では永140文ほどだったともいう。金納なので値上げはある。永100文とみても銭400文、およそ金1朱である。一方、米1石が金1両とすると、1俵は1分2朱余。畑の年貢は田の1/6程度になる。米1石が1両とは、小売価格であろうが、輸送費を考えるともっと低価格で換算するのかもしれない。
 年貢米は、輸送費用を誰が負担するのかという疑問がある。同じ旗本領でも江戸から遠い村と近い村とでは費用が異なるであろう。解説書に書かれないのは関心がないからだろうか。公平性のためには、領主側の負担のように思え、金納に換算するときは江戸での価格が基本になるだろう。

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