熊野宮

2016.10.07 Friday◇古文書〜神仏Edit


「日本第一 大霊験 熊野宮神牘(しんとく)
 武州藤沢 惣社神主 」
と書かれ、熊野の神使である多数の烏の絵がある。
「おふだ」である。

江戸時代の人々は、広く各地に足を運び、道中で著名な神社仏閣には参拝し、おしるしを授かったということだろう。
武州藤沢とは、今の埼玉県入間市下藤沢のあたりで、その地には今も 熊野神社 という神社があるようだ。

余談だが、戦国の武将、太田道潅が戦ったという「藤沢の役(藤沢の戦)」は、川越城からも遠くないこの地の出来事なのではなかろうかと、思っている。吉田東伍は地名辞書で、深谷市南部の人見ヶ原のあたりだというが、その付近を藤沢村と言ったのは明治中期以後で古い地名ではないとのことである。

2、古文書のテキスト文書化

古文書の画像ファイルが増えてゆくと、同時に、読み解いた文書ファイルも増えてゆくことになる。

文書ファイルの形式は、テキストファイル、または馴染んだワープロ文書ということになるだろう。テキストファイルは、MS-DOS時代からのシフトJIS形式でよい。

現在はパソコンで数万の漢字の使用も不可能ではないが、かな漢字変換で気軽に扱えるわけではない。かな漢字変換のことを考えると、シフトJISで定められた文字と記号のみを使うことになる。

漢字については、原則として、「本字」ではなく、現代の略字体を使う。古文書に書かれた漢字も、略字に置き換えることになる。
個人の趣味により、例外は設けられる。証文ではなく證文。武芸ではなく武藝、など。元号の慶應だけは書きたいとか、シフトJISでは、横の本字はないが、濱ならあり、1つだけでも使いたい、など。こういう例外を除けば、昭和後半以後の市町村史資料編の類では本字が(全体に)使われたものはまだ見たことがない。
「候」は、「ゝ」「イト」どう書かれてあっても「候」。
漢数字の壱・弐等は、一・二等にすれば即座に暗算で計算できて内容を把握しやすい場合には、そうするのが良い。字形にばかり忠実で、金額の高い低いの評価もわからないのでは、あまり頭を使ったことにはなるまい。
文書ファイルは他のパソコン等で表示させても同じ文字が表示されなければならず、機種依存文字は使用しない。

変体仮名、万葉仮名は、すべて「ひらがな」で。
助詞の「へ」にあたる「江」は、「え」ではなく「へ」。「より」を1字に書いたようなのも「より」の2字。
そのほかの仮名遣は、原則は、原文通り。近世文学研究者のなかには、正統な歴史的仮名遣に直してしまう人もあるが、村の文書では文学的なものは少ない。俳句や和歌などは直しても良いかもしれない。

句読点、引用符「」、書籍名『』などの記号の付加は、個人の趣味の問題。並列表記の「・」の付加はあまり感心しない。

日本の筆書き文書は、句読点がなくとも、あまり読みづらくもないのは、文字の微妙な大小を使い分けたり、微妙に文字の間隔を調整しながら書くなどするためである。したがって、空白の適宜な挿入は、重要なことだと思う。

判読不明文字を表す記号。
印刷本などでは「□」がよく使われたが、パソコンの画面上では、口(くち)やロ(ろ)と区別しにくい。某大学のHPで近世文学関連のページを見たら、教授ごとに自由な記号を使っていたが、統一しなくともそれとなくわかるものである。ある研究者は「★」が目立つので良いという。虫食などで不明文字が連続する場合は、・・・・・・・・・・・・・・・・・とすれば入力も1秒以内で済むので良いと思う。確定できない字を{ }で括っておいても良い。後で修正を加える必要があるので、本人がすぐに探せないと具合が悪い。

画像ファイルとの関連づけのしかたなどについては、別に書く。

パソコンを利用した古文書管理について。
1、古文書のデジタル画像化(撮影時の状態を永久保存。頻繁な閲覧による劣化を防ぐなど)
2、読んだ内容のテキスト化(検索が容易になるなど)
3、それらによるデータベースの構築。印刷や複製。
以上については、個人でできる範囲についても考えなければならない。

1、古文書のデジタル画像化

撮影時の状態のまま永久保存し、頻繁な閲覧等による原本の劣化を防ぐ。万一予期せぬ現物の損壊を被っても保存データは残る。手軽に画面に表示させることができる。
既に公立図書館などではかなり進んでいる。

スキャナとカメラ撮影の2つの方法がある。
カメラ撮影では、連続撮影は早いかもしれないが、カメラの固定設置そのほか、撮影技術を要する。

スキャナでは、撮影技術がなくても、精細な画像を得ることが可能である。
EPSON社あたりのA3サイズ対応で高速な機種を選ぶことになる(ES-7000など)。
A3でも不足の場合もあるが、例えば奉書サイズで紙の周囲余白を含めない文字部分だけならA3に収まることが多い。
(格安品で、読取りは標準的なスピードでも、次の読取り開始までに大変な時間がかかるものがある。)

画像の解像度の問題。300dpi(1インチ300ピクセル)でできれば良いが、スキャナするのに時間がかかる。
個人の作業では、98dpi(半紙の330mmが約1280ピクセル)でも十分で、細かい字がある場合のみ解像度を上げる方法もある。

保存ファイル形式 jpeg形式で保存。ファイル名の一例
 正徳_4_10b-01.jpg
正徳4年10月の日付の文書で、同月の文書の2つめなので「b」を付加。「-01」は分割撮影された長い文書の1つめの画像の意味。
フォルダ名を「数字+元号」とすればフォルダは数字順にソートされ、その中にファイルを入れる。


画像管理ソフト VIX の表示例。「コメント」を表示したもの。
このコメントは外部ファイルからの一括入力が可能。/ | などは、csvファイルの","から置換した区切記号である。

画像ファイルの蓄積と同時に、文書目録が作られてゆく。
画像管理ソフト上でのコメントなどの詳細な項目表示が、文書目録そのものであるような、そのような画像管理ソフトが望ましいのだが・・・。



  覚
一金七両二分 太々神楽料
一金二百疋  御神馬料
一金 百疋  御留守居
一青銅五十疋 御神参目付
一同 三十疋 供僧
一同 三十匹 御宮詰
一鳥目二十疋 御供世話人
一同 四十疋 下部五人
 右の通慥致拝手候成
    白雲山御宮
   寅八月廿八日
     当番 (印)
  太々講衆中

白雲山御宮とは今の群馬県の妙義神社のことであるらしい。
太々神楽料の金額ほか明細と、受領したことが書かれ、「当番」の押印がある。
「七両二分」は高額に見えるが、講中の人数が多かったのだろうか。
「寅」とはいつの寅年か。慶応二年(1866)かもしれないが、その年かそれに近い寅の年ではなかろうかと思う。

「疋」という金銭の単位については、辞典などの説明が全く当てはまらない例もあるようだ。広辞苑では「古くは鳥目一○文を一匹とし、後に二五文を一匹とした。」と書かれるが、別文書だが「金一疋」は(鳥目)二文としかとれない文書も実在する。

「供僧、御宮詰」などなどは、民間なら奉公人に相当する人たちと思われ、多数の人たちへ心付けのようなものを納めたようだ。
商家などの奉公人も、定められた給金のほかに、心付け(チップ)があった。

借金するなら姉妹から

2016.10.01 Saturday◇近世史Edit
旧題 結婚と持参金
江戸時代には結婚に際して、嫁入り、または婿入りの側が持参金を持参することが普通だったようで、武家や上層階層の者は金額も高額だったらしい。
200石余りの小旗本・神谷家では、幕末のころ、殿様が重病のため引退し、若様が当主となったが、医療費の支出などで困窮したようだ。姫様は出家して尼僧となり、知行地の小さな村の無住の寺に住み、村人の援助などを受けて暮したという。結婚のための持参金を作れなかったのだろうと思った。

地方の村々では、臨時に大金が必要なとき、名主どうしで金銭の融通をした。借りやすい相手には、縁戚関係になっている遠方の村の名主などがある。
手持ちの村の古文書を調べてみると、名主が妻の実家から借金することはなかった。一方、名主の姉妹の嫁ぎ先からの借金は多かった。
その理由について以前思ったことは、妻の実家から借金しては夫のメンツが立たない。姉妹の嫁ぎ先なら、先方からみれば妻の実家への援助であり、男気を発揮する場面である、ということを思ったのだが、今はもっと現実的なことではないかと考えるようになった。
つまり、姉妹の嫁ぎ先なら、既に持参金は持たせてある。その持参金の一部を一時的に流用するだけのことなのである。妻の実家から借りるとなると、あれだけの持参金を持たせたのにまだ足りないのかということになり、具合が悪い。逆にいえば、姉妹の嫁ぎ先からばかり借金するということは、高額な持参金が存在した証になると思う。

嫁の持参金は、家を代表する夫の名義の財産になると、これまでの解説にもあった。しかし離婚の際は返済しなければならないという。
ということは実質的には結婚後も妻の財産であろう。使うときは夫の名義で買物などをするだけのことであり、現代の生活と同じだ。亡くなるときには家の財産として子に引き継がれるのだろう。
中世には妻の財産は制度的にもしっかり確保されていたという研究者もあるが、中世的な妻の財産は、江戸時代に変容をとげ、持参金という形になったということではないか。持参金がある以上は、発言権などがまったくないということはないだろう。
現代では「持参金」という言い方は少なく、個人の財産は、基本的に生涯個人の財産である。



榛名山神前筒粥目録
夕かほ   六分
うぐひすな 半吉
なすび   同
うり    十分
わせ大豆  八分
おく大豆  六分
あさ    半吉
かいこ   七分
大むぎ   六分
小麦    半吉
わせ小豆  同
おく小豆  六分
ささげ   カイサン
いも    同

わせいね  六分
中いね   半吉
おくいね  同
木わだ   八分
大こん   六分
あきな   カイサン
ひゑ    八分
早あは   同
おくあは  七分
きみ    十分
そば    同 
あい    同
けし    八分
からし   十分
ごま    七分
つづみ   十分
もろこし  同
正月十五日執行 辰年

榛名山での筒粥神事の結果の刷り物。その年の農作物の吉凶を占ったもの。
「正月十五日」とあるのは旧暦と思われる。
「辰年」については、明治初年前後ごろのものかもしれない。



一筆致啓上候。先以 其御地
御家内御堅勝 可被成御座、
珍重御義存候。然ば先達て
御参宮の所、麁末の仕合
残念の至御座候。先儀御参
宮御礼物 首尾能相済、幾久
目出度奉存候。弥 御道中
御安全 可被成御帰国、大悦
存候。尚重て御参宮奉
待候。恐惶謹言
   御師
    三日市大夫次郎
 八月吉日   公好

江戸時代の古文書のうちでも、神仏に関するものは、現代からの類推で解釈可能な要素が多い。
他の文書で頭を悩ませているときなどには、一服の清涼剤といったところ。

画像は、伊勢御師の中でも最もよく知られた三日市太夫からの御礼の口上の文で、木版刷り。
伊勢で参宮を終えた人々への祝意、帰国の無事を祈る内容と思われる。
「粗末な対応しかできずに残念の至り」という言葉は、謙遜の意味と、お名残惜しいという意味なのだろう。

宮田登・圭室文雄共著『庶民信仰の幻想』の印象が良かったので、後に 圭室氏の『葬式と檀家』を読んだのだが、これは残念な内容だった。近世初期のキリシタン問題について、今の人権思想の観点から批判しているようなところがあったからである。

この問題で他に蔵書を当ってみたが、NHK歴史への招待シリーズの対談でで山崎正和氏が触れているくらいだった。日本人は好奇心が旺盛で、外国の宣教師の話にも耳を傾けようとした、非キリスト教圏では珍しい存在だったとのことである。それが日本で一時一定の拡がりを見せた原因の一つではあるのだろう。

私はもう一つ別の見方をもっている。神社仏閣に対する人や集団の信仰形態、そして家族形態が、戦国期と江戸時代では違うという点である。
江戸時代の家族は、夫婦とその子供が同居し、子供の一人が配偶者を得て家を継承し、直系の子孫が直系の先祖を祭るのが先祖信仰である。労働は家族単位であり、村の衆議でも家族の代表一人が参加し、一部の例外を除いて家族の菩提寺は共通である。これらはいかにも日本的で安定的な秩序になっているが、夫婦の同居以下ここに書き出した全てについて戦国時代には一般的でなかったようなのである。独立自立した家族を持ちたいという願望は、すでに民衆の中に芽生えていて、そういった願望を満たすような内容が宣教師の話にあったという見方もできる。
江戸時代的な秩序の成立には寺請制度のはたした役割は大きいと思うが、すでに戦国時代はそれへの移行期でもあったので、個人を引き抜くようなキリシタンは時代に逆行するものであったかもしれない。家族を基盤にした江戸時代的な村は、村鎮守のもとにまとまったが、江戸以前には名主(みょうしゅ)の氏神が中心にあった可能性がある。キリシタンを経験しなければ、寺請制度も村鎮守も早くには成立しなかったかもしれない。
西洋では個人の自立が建前になっているが、日本では家族が核となって代表が村の衆議などに平等に参加するようになってゆく。家族の個人個人が別々の、時には対立するような思想をもつことが社会の進歩だとも思えない。少なくとも家族形態においては、近代的な家族が江戸時代には成立したと考えて問題ないように思う。……といった見方をしている。

日本人では、年貢を納めることによって耕作権や土地の所有権は確保されたという認識がある。年貢を誰に納めるかといえば、多くは大名などの武士だったのだが、寺院の領地の領民は、寺院に納めた。寺院には大名のようなところがあり、大名と戦もした。こうした日本の寺院の権限と同じものをキリシタン教団に即席で与えるわけにはいかないと考えるのは当然だろうと思う。

きりしたん禁制の高札は、明治元年にも新政府から出された。当時の特に西日本では、彼等への迫害が非常に多かったと谷川健一の本で読んだ。「尊王攘夷」の特に「攘夷」を、新政府の変節後も字義通りに実践しようとしていた下級武士たちのエネルギーの、その行き場になったのかもしれない。続く寺院破壊も同様であろう。こうした迫害が最も多かったのはどの時代だったかについては、よくよく検討しなければならないのではないかと思う。

「NHK趣味悠々古文書を読んでみよう」は、2001年にNHK教育テレビで9回放送された番組(講座)内容を、NHK出版が出版したもので、講師は森安彦氏。
副題に「文書で知る江戸の農村のくらし」とある通り、国民の多数が生活していた農村での生活文化について、それに相応しい文書を選んで、文書の読み方や解説を載せている。
その講座でどんな文書が選ばれているかをリストに整理してみて、今後の各村の古文書紹介での「選び方」の参考にしたい。

1〜3は手習に関するもの
1、
「いろは覚」 手習の最初に学ぶ、いろは四十七文字の仮名の手本の文字。ひらがな、変体仮名を読み書きするときの手本。
筆者の手元には、子どもが書いたと思われる、いろは七文字を書いた半紙半分の紙がある。

「中浚」 浚とは手習塾での定期的な試験のようなもので、生徒が書いた文字に師匠が朱書きで評価などを加えたもの。
手元にはない(大人の俳句の会で朱入りのものはよくある)
2、
名頭字」 人名に使用される文字を学ぶもの。
江戸方角」 江戸の地名に使用される文字を学ぶ。
手元には江戸方角の断片がある。「近所村々」の四文字で始まる地元(北武蔵)の村名を列挙したもの(呼び名不明)もある。
「自遣往来」 手紙の例文を多数収録した往来物の一つで、自遣往来は江戸とのやりとりの文が多いらしい。手紙は、季節行事や冠婚葬祭に関するものなどである。
手元には、女手のものも含め多数の往来物の書写したものがある。「隅田川御手本」などの物語本もある。

「手習子供名附」 手習塾に通う子どもの名簿。
「寺子教訓之書」 学問とは何かなど、「修身」のような内容。
手元には儒教の用語などが出てくる子ども向けの小さい版本がある。

4〜7は、家族内でのもの

「縁談覚書」 縁談の申し入れから結婚後の披露までの経緯を日付順に記録したもの。
手元には、「人別送り状」があるくらいである。通常の手紙の中で、近い日に行なわれた行事への祝意が記されることもある。
「御婿入献立」 今でいう披露宴の料理の献立。
「婚礼餞別貰其外諸式控帖」 御祝儀として受け取った金品の記録。手元には何やら類似の断片があるが、婚礼かどうかは未確定。

「離縁状」 三行半のもの。夫が妻に書く。
手元にはない。普通はないと思う。
「復縁につき禁酒慎み證文」 夫が證人と連名で名主宛に書いたもの。
手元にはない。他村の祭礼での出来事に対する、他村からの問糺し文のようなものはある。
「夫婦取交覚」 老夫婦が相互に取り交はしたもの。隠居宅の問題、老後の問題などの、安心のため。

「家訓」「家訓遺状」 朝起きて何をするかなど細かく書したものが紹介されている。
手元には大正時代の道歌形式のものがある。幕末に高札等から家のために重要なものを抜粋したものなど。
「諸式入用控帖」 日常の支出を記録した家計簿のようなもの。
手元にはない。類似のものは、奉公人の年俸を預り、煙草代や髪結代など必要ごとに支出したときの帳面がある。

「遺言状」 
「譲言」 甲州の名主の家督相続に関するものが掲載。五百石余を所持という。甲州では武士と農民の中間のような存在の者があり、かなり遠方の村々にも土地を所持した例がある。武士の観点からは知行地のようなものだろう。
「辞世の句」
手元には大正時代の辞世の歌を墓石に刻んだものがある。同人の葬儀では、弔いの和歌を多数贈られた。

8 村内の取り決め
「郷中連判議定書」 掲載のものは、畑の作物を盗むことの禁止と罰則、入会地の山林でのルールが書かれる。ここまで罰則などが具体的なものは稀と思う。
手元には、祭礼での取り決め、助郷の村内分担の取り決め、そのほか迷惑防止などの取り決めを、全村民の連名で作成したものがある。
「新屋敷取立て禁止につき取極め證文」 御公儀の方針である分地制限を取り入れたもの。分家の制限であり、名主は20石以上、他は10石以上の家のみ分家を認めるというもの。小規模な農業だけでは生活が成り立たず、仕事も半減し、平穏な村ではなくなる。
手元には、関連の文書として、分家とは逆に、二軒を一軒にする問題で、領主の裁定を仰ぎ、不可となった文書がある。二軒の合一となれば、石高が増え、奉公人を雇って面倒をみれるか、石高に見合った村役の仕事ができるか、寺への負担も二軒分であり、もし安易に土地を手放すことになれば、結局一軒をつぶしただけのことになる、ということだと思う。
「村柄風儀宜しきにつき褒美書」 領主からの表彰のようなもの。

9 旅日記など
「伊勢参宮関所手形」 五街道等の関所の役人宛てのもの。
手元にもある。婿が越後の実家に一時里帰りなどの手形もある。
「名所古跡参詣覚帳」 道中記、旅日記のことである。
手元には、伊勢参宮と西国三十三所の道中記などがある。明治初年のものに朱印帖もある
「旅金小遣覚帳」 旅日記とは別の支出帳。

以上の文書の選び方については、子ども時代の手習に始まり、家族に関するものを多く取り上げ、入門テキストとしては好ましいものと思う。
付け加えるとすれば、農業や機織りなどの実際の仕事に関するもの、村の祭礼、神社や寺の普請、講、道路や橋の保守についてのものなどがある。
水利や助郷に関する近隣の村々との取り決め。など。

この講座では省かれているが、領主との関係の文書。臨時の御用金は、年貢の先納として扱われ、細かな年末調整のような年貢皆済目録。領主(旗本)の返済不能金を帳消しするに際して、領主の家計支出の公表とそれに対する農民の意見書。領主家の葬儀での臨時支出の詳細な公表。など。

名頭字林

2016.09.13 Tuesday◇古文書〜手習Edit


名頭字林

源 平 藤 橘
惣 善 孫 彦
弥 与 新 小

甚 勘 長 茂
忠 助 喜 市
清 伝 作 佐
治 久 又 半
角 多 文 伊
才 庄 嘉 権


『江戸方角』に続き、手習用の教科書である、『名頭字林』。または『名頭字』とも。
人名に多く使用される漢字を並べたもの。
「源平藤橘」という昔からの著名な姓(かばね)の四文字で始まる。
「惣善孫彦」からつづく32文字を見ると、たしかに江戸時代の人名によく見られる漢字である。
最後は「左衛門 殿 様」で終っている。

ちなみに当家の江戸時代の当主の名には、彦、伊、権の文字がつく三種類の名がある。一つの名を代々襲名する家もあるようだが、三種類あると名前だけである程度の時代を推定できるので、ありがたい。



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